白<KURO>


俺達こそドブの底からわいて

出て来た本物のパンクよ!


<INTRODUCTION>
 今年の2/5に北九州のin and outで白(KURO)のステージを初体験した。
それまで凄い!という噂だけは聞いていたのだが、なかなか見る機会に恵まれなかった。俺が博多から北九州までわざわざ行くはめになったのは実は深−い理由などは何にもなくて、ただ白が一度はこの目で観たいバンドだったのと、最近何か刺激的なバンドが少ないから、という期待と恐怖の入り混った、あの怖いものみたさの妙な好奇心からなのであった。
 果たして……白は良かつた。期待以上(?)に面白かった。Vo. のMORIKAWAは床をはいまわって叫び、G. のHIDEは酔っぱらってギターを叩き壊し、客にナイフを振り回す。B. のMANJlとDr. のSUGIはそれを横目でチラッと見ながら息もつかせぬリズムを刻む。こりやスゲーぱい!
 で、昂青のステージの後、酔っぱらった彼らにインタビューを試みると、彼らが意外とシツカリした音楽観を持ち、又、自分達を客観的に評価できる数少ないバンドだという事が解った。
彼らは体張って本気で自分達の演りたい事を演っている!それでは、白を知らない君の為に白の経歴を教えよう。

<1981>
 白(KURO)が現メンバーで結成され、本格的に活動を始めたのは、1981年7月の頃だった。その頃の活動は地元の下関が中心だったが、何せ活動場所が少ない所だけに、彼らはデパートの屋上等、適当な場所を見つけては、所構わず勝手にライフしまくった。二週1回〜2軌のペースでやっていたが、この頃からその暴力的なステージが問題になり始め、暴走族などとの衝突が絶えなくなる。同年9月には、ギターのHIDEが暴走族とのケンカによリアゴの骨を骨折するが、翌日のライヴに出演し、その後、2力月間の入院生活に入リバンド活動を一時休止せざるを得なくなる。
-----「やり始めの頃は、絵にかいた様なパンクをやりよった。髪の毛を短く立てて、クサリや安全ピンをあちこちつけたりして……だけど俺達は、他のパンクの連中が良く言うように、セックス・ピストルズやダムド等のいわゆるあの辺の音楽に触発されてやり出したんじやない。みんな高校中退とかで定職もなく、フラフラとチンビラやっとって、それでもう生活そのものが無茶苦茶やったから、音の方もやりよる内にごく自然に、あんな感じになっていったちゅう感じよ。実際、ピストルズやら流行ってた頃、誰一人としてパンク聞いとる奴はおらんかった。俺も嫌いやったし、その頃は、ニューヨーク・ドールズやらT-REXなんかが好きで聞きよった。」(HIDE)
 11月には、HIDEも戻り、再びライヴ活動開始。この頃から北九州でも活動し始めるが、その暴力性ゆえに、多くのライヴハウスから出演拒否をくらう。BOX(今のin and out)出演もこの頃からだが、白も現在までここの最多出演バンドでもあるのだ。
 この年の大晦日に行なったギグではギター、ベース、ドラム、アンプに至るまでの楽器類を全壊してしまう。「演奏しよったら、突然、誰かが何かし始るちゃね。卍(MANZI)がベースを放り投げたり、HIDEさ んがギターを叩き折ったり、それでもう後は、いつもわけのわからん状態になつてるね。   (SUGI)

<1982>
 バンド活動も軌道に乗り出した3月頃、地元のヤクザと問題を起こし生活自体も危なくなり、バンド活動を一時休止せざるをえなくなる。その過激な  (to be continue)